江波山気象館探訪
「空白の天気図」という小説を夢中で読んだ話を以前したが、この小説の舞台となった広島地方気象台(現 江波山気象館)に行ってきた。1934年竣工の被爆建物で、市の重要文化財にもなっている貴重な建築物であるが、それより何より、あの職員たちがいた場所である。今から約70年前、自ら原爆被害に遭いながらも1日も欠かさず観測業務を続けてきた職員たちの闘いの場所なのだ。
広島地方気象台(現 江波山気象館)。その姿が見えた瞬間テンションが上がった。
気象台の細かい説明は省略するが、建物内を歩きながら思ったのは、ここは特別な場所であるということ。「空白の天気図」を読んだことが強く影響しているのだろう、展示されている品々を含め、建物内の光の届かない場所に原爆等災害下の苦境や不安を感じた。同時に70年前にこの建物内で起きていたことが自分自身の体験のように頭に浮かんでも来た。観測塔に登ると、ぼんやりとした気分を現実に引き戻す鮮烈な、何もさえぎるものの無い一面の青空が広がっていた。
夕暮れ時の江波山気象館
1階 階段(現在の様子。)
1階 階段(以前の様子。時代不明。右側の部屋は便所として使われていた。)
1945年8月6日当日の観測当番日誌。栗山事務員の原爆死についても触れられている。
台員たちの調査メモ。被災者から聞いた話を、極力そのままの言葉で残すようにしたと言う。
原爆投下時の爆風で割れたガラスが突き刺さったままの壁。言葉にすると軽いが、ガラスが壁に突き刺さっているのである、ありえない状況だ。
建物の一部には、復元工事の際にも手を付けなかった被爆時のままを残した「被爆保存壁」がある。
70年前とほぼ変わらない姿の観測塔。
屋上から紙屋町方面を望む。
ちなみに、江波山気象館からも近いシュモーハウスにも立ち寄った。そこで見た1枚の写真に足が止まった。昭和23年頃のバラックに住む親子?の写真。見るからにボロボロの小屋。戦後の苦しい時代なんだろう。にも関わらずこの彼女たちの笑顔の眩しいこと。自分もこうありたい。