ホルモンでお食い初め

広島在住、30代おじさんのお食い初め(初体験)記録

釜ヶ崎を歩く 2018年夏 (釜歩きツアー、釜ヶ崎夏祭り)

大阪は西成区にある日雇い労働者の町、通称「釜ヶ崎」。そこで毎年お盆の時期に行われる「釜歩きツアー」と「釜ヶ崎夏祭り」に参加してきた。2018年8月15日、朝9時から12時間以上釜ヶ崎を歩いた中で、見たもの、感じたものを記録する。

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2018年8月15日11時過ぎの三角公園

日本最大のドヤ街として長い歴史を持つ釜ヶ崎。日本で唯一暴動が起きる街とも言われている(2008年を最後に、この10年間は暴動は起きていない)。新たに移り住む人が少ないためか、他地域と比べて極端に高齢化が進み、かつ孤独死の多さも問題になっていると言う。

「釜歩きツアー」に参加する

1人では行きにくい場所を見ることができ、そこに当事者として関わってきた方の話が聞けるとあって楽しみにしていた。ガイド役は水野阿修羅さん。ご自身も日雇い労働者として1969年から釜ヶ崎で暮らし、通称釜共を結成して暴力手配師と闘ってきた方。(その時の話は、著書『その日ぐらしはパラダイス』に詳しく書かれている)

約2時間ほどの釜歩きの中で、気にも留めていなかった場所の意外な歴史や、日雇い労働者の生活の知恵などを聞かせてもらった。特に、ここ10年ほどの町の変化に関する話に驚きが多かった。具体的には、釜ヶ崎が福祉の先進地域として注目されていることや、国内外を問わず観光客の旅の拠点となっていること。また、釜ヶ崎からすぐの場所にある「あべのハルカス」に続けと、再開発の計画が進められていること、である。

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あいりん総合センター。建て替えに伴い、2019年から撤去工事が始まる。

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西成労働福祉センター1階。求人票の掲示板前。

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西成労働福祉センター1階。17時半から配られるシェルター利用券のための列。

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星野リゾートのホテル建設予定地。JR新今宮駅北側。

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三角公園そばにある「ふるさとの家」では、袋ラーメンを調理するためのラーメン室が開放されている。
夏祭り期間中は映画の上映もしていた。

ツアーのルートは決まっておらず、毎回その日、その時の状況で変えるらしい。また行きたい。

「第47回 釜ヶ崎夏祭り」に参加する

「釜歩きツアー」が終わり、すぐに夏祭り会場である三角公園に向かう。16:30、公園内の人だかりの中心では、大人の男たちが本気で相撲を取っていた。体格の良い若者に果敢に挑む釜のおじさんもおり、声援や野次が飛び交う大層な盛り上がり。何これ楽しい。

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5人抜きした横綱同士の結びの一番。優勝は奥側のムショガエリ関(四股名は即興で付けられていた)。

相撲後は、ステージで色々な方が歌うなど。公園内ではタコ焼きや天ぷら、もちろんお酒も売られており、それらを食べながら皆楽しそうに時間を過ごしている。

僕もチヂミ(100円。美味い)をつまみにお酒を飲みながらステージを見ていたが、そこで登場した沖縄のエイサー踊りにやられた。太鼓のリズムに自然と体が動き、ステージ前では沢山の観客が踊っている。耳を澄ますと「ええじゃないか」が聞こえたはず。解放的な気分。今年1番の幸せな時間だった。

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エイサーの様子を録音。

その後は慰霊祭、盆踊りと続き22時頃に終了。皆がお互いに干渉せず、自分に正直に振る舞える空間で、普段味わえない解放感に幸せを感じた祭りだった。

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18時、夏祭り中の三角公園の様子

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体操座りで仲良くステージを見るおじさん。

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祭壇。盆踊り前にはこの1年間に亡くなった、釜ヶ崎の仲間たちを追悼する。

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盆踊り。踊りも色々だった。

釜ヶ崎を歩いて思ったこと

1.服装の特徴

朝9時に釜ヶ崎に着いて早々、「兄ちゃん仕事どうや」と手配師に声をかけられた。してやったり。と言うのも、この町で目立たない(警戒されない)服装をしよう意識していたから。少し暗めのシャツにワークパンツを履き、荷物はリュックではなくコンビニのビニール袋に入れて行動した。コンビニ袋(しかもミニサイズ)にしたことが、この町の外から来た印象を薄れさせたと思う。

ただ、釜のおじさんと自分とで2点格好の違いがあった。1つは靴。自分はスニーカーだったが、見かけたおじさんたちはほぼサンダルだった。もう1つは、肌。夏、炎天下で仕事をするおじさんたちの肌はしっかり焼けており、違いは歴然。

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四角公園の様子。

2.働き、お金を稼ぐことへの誇り

釜歩きツアー後、参加者の1人が口にしたことが印象的だった。その方は東海地方でホームレス者の支援をされており、「私の地域では、支援のゴールは生活保護の受給だけど、この釜ヶ崎ではそうではないように思う。」と。ガイドの水野阿修羅さんも、釜の野宿者の中には、生活保護を受けられる状況でも、自らの意思で受けない(拒む)人も少なくないことを教えてくれた。

改めて考えれば、釜ヶ崎は日雇い労働者の町である。ここに集まる人々は、この地に仕事を求めて来ているわけだ。それはつまり、自ら働き、そこで稼いだお金で生活することへの意思の表れと言える。2018年の釜ヶ崎夏祭りのスローガンは「老いも若きも安心して働き、暮らせる釜ヶ崎を!」。働くことへの強い意思の裏には、国の世話にならず自力で生活している(していく)己に対する誇りを感じた。

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夏祭りのステージにも「仕事をさせろ!」のメッセージ。

3.日雇い労働者の町ではない未来

高齢化に伴い、日雇い労働者数自体が減っているようだ。

(1996年時点)最大の寄せ場を持つ大阪釜ヶ崎に約2万人、ついで東京山谷に約6000人、横浜寿町約5000人、川崎約2000人、名古屋笹島約1000人の日雇労働者がいるといわれる。
釜ヶ崎支援機構 公開「第2章 大阪における日雇労働の実態と労働対策」より
日本にはいわゆる四大寄せ場、東京の山谷、横浜の寿、名古屋の笹島、大阪の釜ヶ崎があり、釜ヶ崎はその中で最大規模の寄せ場だった。そして2015年現在、もはや「寄せ場」として機能しているのは、今も労働者が1万人近くいる釜ヶ崎だけと言われている。
生田武志著『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本 (ちくま文庫)』(P60)より

1996時点で2万人、2015時点で1万人近くいると言われた釜ヶ崎の日雇い労働者だが、釜歩きツアーの水野阿修羅さん曰く、2018年8月時点では5、6000人くらいだろうと推測されていた。実際、釜ヶ崎での日雇労働者被保険者手帳(白手帳)所持者は、1986年の24,458人をピークに、2016年3月には1,420人まで減少している(西成労働福祉センター『事業の報告』より)。

と同時に、釜ヶ崎は日雇い労働者の町、としてだけでなく、先進的な福祉事業の町として、外国人観光客だけでなく国内の若者の旅の拠点の町として、阿倍野に続くジェントリフィケーションが期待される町としても注目され、その活動は広がっている。

日雇い労働者の町は今、日雇い労働者だった方々の町となりつつある。そしてその先はどう変わるのだろうか。10年後には町の景色も町への認識も大きく変わっているかもしれない。

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多くの野宿者はダンボール、新聞、アルミ缶集めで生計を立てていると言う。
生田武志著『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』によると、2015年時点でアルミ缶は150円/kg、ダンボールは6円/kg。
1日集めてもなかなか1000円にはいかないと言う。(P155、156)。

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1軒の飲み屋の前で、声を荒げて揉めるおじさんたちの横を素通りする警察官。
「揉めてるのか?」と小声で言ってるのが聞こえた。
よくある光景だからまだ様子見で良し、てことなのだろうか。

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オーエス劇場。ストリップ小屋だった「トビタOS劇場」時代、ここで呼込みをしていた元浪曲師の男性(トクちゃん)の一代記が、小沢昭一著『写真集 昭和の肖像〈町〉』に書かれている。これが面白い。
昭和のドサ周りの映像が目の前に広がる。

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あいりん総合センターの移転計画を説明した掲示物。元の(今現在の)場所に戻ってくるのが、早くても2023年以降。