ホルモンでお食い初め

広島在住、30代男性会社員のお食い初め(初体験)記録

炭鉱「池島」で見た、風化の様子と暮らしの今(2019年春)

2019年4月、長崎県五島灘に浮かぶ炭鉱の島「池島」に行ってきた。1959年~2001年まで採掘された、九州では最後の炭鉱。人口から見た最盛期は1970年で約7,700人が暮らしたが、2001年の閉山時には2,700人、2003年は600人、2019年現在は130人まで減っている。

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鉱員住宅の多くは空き家だが、一部は今も利用されている。

池島には、人がいなくなった空間を体感するために行った。空きテナントばかりになった大型ショッピングモールに行ってみたくなる気持ちに近い。この気持ちを言葉にすると、浪漫と開放感になろうか。島の歴史、島民の思い出を頭に浮かべながら、人のいない、風化した道を歩く浪漫。それから、歴史の上に積もった、足跡1つ無い真っ白な雪を歩くような開放感。

先に言うと、池島は最高だった。幸せな時間を何度も味わった。建物の一部は解体の計画もあるようで、そう遠くないうちにまた行きたいと思っている。

長崎駅から池島へ

池島への行き方はいくつかあるが、今回は神の浦港からのフェリーで上陸した。長崎駅から神の浦港までバスで1時間半、そこからフェリーで30分。のどかな風景を眺めながら島に向かう。
ちなみに、島には食料品を買える場所は無く、唯一の食堂も18時ころには閉まるため、泊りの方はあらかじめ食事のことを考えておくと良い。

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バスは「神の浦」で降りる。ここから海の方に歩き、3分ほどで港に着く。

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神ノ浦港の前にある「ホテル外海イン」。1階にフェリーの切符売り場と待合所がある。

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フェリーの待合所にあった掲示。2019年4月時点で、池島の人口は130人。

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神ノ浦~池島を結ぶフェリー「かしま」。島まで約26分。

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フェリーから見た池島

風化の様子

池島に上陸。波と風の音が聞こえるだけだ。港では、島内を巡回するバス(ワゴン車)と、炭鉱見学ツアーのスタッフの姿を見たが、そこを離れると人の姿はほとんど見なくなった。代わりに、島のあちこちで猫を見た。特に人がいる場所付近では20匹ほどが集団で寝そべっている。※猫の写真は次の記事(炭鉱「池島」で見た、猫と景色と炭鉱ツアー(2019年春))で紹介します。

今はもうほとんど使われていない施設、住居、道。それらはゆっくりと草に飲み込まれ、土に還っているように見えた。

住居

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島の中央から南側には、鉱員住宅が立ち並ぶ。

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ボロボロになった青いビニールシート。どうしてビニールシートを張ったのか。

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草木の圧倒的な勢い。人の空間だった場所は、また自然に還ろうとしている。

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8階建てアパート。時折、建物の何かが風に吹かれ音を出している。

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滞在中の2日間、この道ですれ違ったのは観光客2組と猫だけだった。

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8階建てアパートの階段。全ての入口には柵が張られ、中に入れないようにしていた。
イノシシの罠を仕掛けている場所もある。

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8階建てアパートの裏。建物にエレベーターは無いが、アパート裏の高台からかかる橋を渡れば、5階の渡り廊下に繋がる。

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公園のブランコ。鎖は朽ちて切れている。

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島に張り巡らされているこのパイプは、海水を蒸発させて作った真水を送水するための水道管。
蛇口から出る水は、ぬるま湯だったという。

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今にも崩れそうな建物。崩壊時の飛散を防ぐためか、ネットで覆っている。

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郷地区と呼ばれる集落。炭鉱開発以前からあった集落で、一軒家が多い。
ほとんどは空き家のようだが、島民らしき方を2名見た。

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アパート内に放置されているスクーター。

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放置され、朽ちたスクーター。屋外で、かつ海風の吹く場所だからか風化も早いのだろう。

お店

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歓楽街だった地区。

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2014年まで営業されていたスナック「マキ」。訪問が遅過ぎた。

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「小売りセンター」内にあった散髪用のスペース。月1回、出張して来られるそう。

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港のそばにある「港ショッピングセンター」。「丸木ストアー」も「ひろせ酒店」ももう営業はしていない。

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島の中心地だった商店街「新店街」。この建物裏にはボーリング場などもあった。

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シャッターの降りた新店街の中、1店舗だけ生活雑貨などを扱うお店が営業されていた。

炭鉱関連

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池島港にある石炭船積み機。毎時450トンの石炭を石炭輸送船へと積み込んでいた

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炭鉱関連の工場や施設が残されている

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昭和41年にできた発電と造水のための施設。海からの風に吹かれ、はずれかけた鉄の板が音を鳴らす

ある島民の暮らし

1泊2日の池島旅行の中で、6名の島民の方とお話しすることができた。閉山から18年が過ぎた今もそこに暮らす方々。島を離れず、ここで生活を続けることにどんな思いが、理由があるのだろうか(そもそもないのか)。それはわからないが、彼らの暮らしを見たり、聞いたりする中で、池島の良さを感じたので記録する。

かあちゃんの店

島唯一の飲食店「かあちゃんの店」。お店は閉山後から始め、今年で18年が経つと言う。朝8時ころに店を開け、18時ころには閉店する。お客が来ない時もあるそうだが、この場所は島民や観光客にとっての憩いの場だ。店内の壁にかかれた観光客のメッセージを見てもそれを感じる。かあちゃんもそれを喜んでいるようだった。
かあちゃんと話しながら、ゆっくりといただく自慢のちゃんぽん、美味しかったなあ。

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かあちゃん佐世保に生まれ、20歳の時に旦那さんと島にやってきた。

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かあちゃんの店は「長崎市設池島総合食料品小売センター」内にある。昔はこの建物の向かいにスーパーがあり、多くの人で賑わったそうだ。

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おすすめされていた「ちゃんぽん」。見ての通り具沢山、絶品だった。

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かあちゃんが店の外に出ると、沢山の猫が集まってきた。

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食材の残りを餌として与えているそう。

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小売センター内の壁には、島を訪れた方々からのメッセージが残る。かあちゃんは人からも猫からも人気だ。

公衆浴場前で会った花のお母さん

公衆浴場前の階段に座っていると、そこにあった掲示物を貼り換えに来た1人のお母さんが声をかけてくれた。元々池島に住んでいたが、今は長崎市内にも家があり、1週間ごとに住み替えているという。池島には自生なのか、きれいな花をよく見かけたが、そのこと話すと、「見せたいものがある」と家に案内してくれた。

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公衆浴場の前で声をかけてくれたお母さん。ご自身に対し、「ボーッと生きてんじゃねぇよ」と突っ込んでいた。

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イノシシ出没の話を聞いていたところ、突如土を指さし「土の色が違うやろ。これは今朝掘っとる。まだ近くにおる。」と嗅覚の違いを見せつけられた。

お母さんの家は島の南側の高台にあり、周囲の空き地には、紫陽花やマーガレットやら、沢山の花が植えられていた。元々はアパートがあったが、取り壊され、空いたスペースに植えているのだと言う。延べ面積ではバスケットコート2面分を超えそうな広いスペース。手入れが大変でしょうと聞くと、旦那さんと季節ごとに花を植え替えたり、楽しいという。こんなこと、池島でしかできないと。
青空と五島灘角力灘)、自分たちで手入れする花々が見渡せる縁側で、そう話してくれた。

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お母さんが手入れする花壇。

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写真に写るのは一部で、かなり広いスペースに花を植えられている。確かに、池島だからできる楽しみかもしれない。

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お母さん宅の縁側からの眺め。「ここから見える景色が1番だ。春は桜も咲いてね。」

閉山から18年が経った2019年。初めて訪れた静かな池島は、自分にとって居心地が良く、その歴史と今後が気になる印象深い島だった。

島の方から聞いた話では、現在2ヶ所にある銭湯の内の1つは、2019年度で閉鎖になるそうだ。さらに廃墟となっている鉱員住宅の一部も、耐震基準の都合2~3年で解体される計画があるという。島民が減り続ける中でのこういった変化は、島の味わいを薄めるようで切なさはあるが、仕方がない。

幸せな時間を過ごしに、また池島に遊びに行こうと思う。

※下記は池島について勉強させていただいたサイトです。ありがとうございました。