ホルモンでお食い初め

広島在住、30代男性会社員のお食い初め(初体験)記録

2017年の広島で追う、若尾文子と「その夜は忘れない」

1962年公開の映画「その夜は忘れない」。戦後17年が経った広島市を舞台に、人々の意識から消えつつある原爆被害を取材するため東京からやってきた新聞記者(田宮二郎)と、そこで出会ったバーのマダム(若尾文子)の葛藤を描いた作品。
若尾文子さんの美しさに加え、広島に住む僕としては身近な場所の半世紀以上前の姿も楽しめる貴重な一作であるが、映画の中に映るあの場所は2017年現在どうなっているのか。気になったので行ってみた。若尾文子ファン的には聖地巡礼でもある。

その夜は忘れない [DVD]

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まずは、原爆被害の痕跡を取材する田宮二郎人影の石を撮影するシーン。現場の住友銀行広島支店(現 三井住友銀行広島支店)は、隣接する広島銀行と共に2017年現在もその場所にある。街の中心地で目の前にバス停もあり、大変に人が多い。

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続いてはご存知原爆ドーム。1962年当時は今のように修復がまだ十分でないように見える。写真を比較して初めて気づいたが、梁?骨組?の所々に見られる欠損が、現在はレンガ等で補われている。実際、修復箇所は色が違っており、一目でわかった(下の画像は白黒ですが)。目の前を流れる元安川には、当時はボートやかき船?が係留している。

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平和大通り沿いから見た広島平和記念資料館の様子。丹下健三設計で有名な資料館や広島国際会議場(当時は広島市公会堂)自体は大きく変わらないが、その公会堂の奥にある背の高い建物が消えている。この場所こそ、劇中田宮二郎が宿泊していた「新広島ホテル」で、1973年に閉館したそうである。

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若尾文子との突然の別れに、陽の沈む広島の街を歩く田宮二郎平和公園を訪れるシーン。慰霊碑や奥に見える原爆ドームはそのままに、当時は無かった建物がいくつか見える。逆に当時は見えていた広島市民球場の照明も今は無くなっている。

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最後に、平和公園で己の気持ちをぶつける田宮と困惑する若尾のシーン。ちなみにこちらはキャプチャでなくスチール写真(ヤフオクで買ってしまった)。慰霊碑の見える角度、ベンチ、2人の奥に見える石から場所を特定できた。ベンチは当時のままではなかったが、奥の石はそのままである。これにはテンション上がった。

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下2枚が現在の写真。石の位置を参考にすると、ベンチの位置が当時より歩道側に近づいている。3枚目の写真のビニール傘のあたりが当時のベンチの位置だったと思われる。スチール写真に見られる2人の位置と奥の石の間に写るブロックに囲われた場所、これは現在は手洗い場であり当時もそうだったのではないか。

時代は変わり、景色も大きく変わるけれど、密かに形を留め名残を残すものを見つける楽しさに触れる時間だった。